意思無能力者の法律行為

事例

 現在90歳のAは、80歳を超えたあたりから病が急に進行して判断能力が衰え始め、2年前からしばしば事理弁識能力を欠く状態になった。絵画の好きなAは、事理弁識能力を欠いているときに、画商Bの言うままに、Bの所有する甲絵画を500万円で売買する契約をBと締結し、直ちに履行された。この事案について、以下の問いに答えよ。

(1)

 Aは、甲絵画をBに戻して500万円の返還を請求することができるか。また、Bに甲絵画を800万円で購入したいという顧客が現れた場合に、Bの方からAに対して甲絵画の返還を請求することはできるか。

(2)

 AがBに500万円の返還を請求する前に、Aの責めに帰することができない事由によって甲絵画が消滅していた場合に、AのBに対するこの返還請求は認められるか。Bから予想される反論を考慮しつつ論ぜよ。

答案

※答案を構成するにあたりAは、家庭裁判所で被保佐人の審判を受けたものとして答案を進めたい。

(1)

 Aは、甲絵画をBに戻して500万円の返還を請求することができるか。Aは2年前からしばしば事理弁識能力を欠く状態にあったところ、意思能力を欠いていたと言える。民法3条の2は「法律行為の当事者が意思表示をした時に意思能力を有しなかったときは、その法律行為は、無効とする。」と規定している。Aは意思能力を有していないところ、Aの法律行為は無効であるから契約は成立しない。

第3条の2 法律行為の当事者が意思表示をした時に意思能力を有しなかったときは、その法律行為は、無効とする。

 次に、Bに甲絵画を800万円で購入したいという顧客が現れた場合に、Bの方からAに対して甲絵画の返還を請求することはできるか。確かに、Aは意思無能力者であるところ、契約は無効である。しかし、民法3条の2の趣旨は、意思無能力者の保護であるところ、無効の主張は意思無能力者またはその後見人しか認められていない。(相対的無効)

 したがって、BはAが意思無能力者であることを理由に本契約を取消すことはできない。

(2)

 AがBに500万円の返還を請求する前に、Aの責めに帰することができない事由によって甲絵画が消滅していた場合に、AのBに対するこの返還請求は認められるか。民法121条の2第3項は、「行為の時に意思能力を有しなかった者は、その行為によって現に利益を受けている限度において、返還の義務を負う。」と規定している。

(原状回復の義務)第121条の2
 無効な行為に基づく債務の履行として給付を受けた者は、相手方を原状に復させる義務を負う。
 前項の規定にかかわらず、無効な無償行為に基づく債務の履行として給付を受けた者は、給付を受けた当時その行為が無効であること(給付を受けた後に前条の規定により初めから無効であったものとみなされた行為にあっては、給付を受けた当時その行為が取り消すことができるものであること)を知らなかったときは、その行為によって現に利益を受けている限度において、返還の義務を負う。
 第一項の規定にかかわらず、行為の時に意思能力を有しなかった者は、その行為によって現に利益を受けている限度において、返還の義務を負う。行為の時に制限行為能力者であった者についても、同様とする。

 したがって、行為時に意思能力を有しないAは、現存利益においてのみ返還をしなければならない。しかし、AはAの責めに帰することができない事由によって甲絵画を消滅している。現存利益は残っていないものとされ、実質的にはAはBに対して何ら返還する義務を負わない。

メモ

 反論を想定することが難しい。